アテネパラリンピックが終わって、ついさっき、NHKの特集番組「アテネパラリンピック総集編」が放映された。
オレはかなーりこの番組のフェチで、長野オリンピック開催の前に、なんと第12回(1976年)インスブルック(オーストリア)から第17回(1994年)リレハンメル(ノルウェー)とNHKは冬の大会の総集編を立て続けに一気に放送し全部録画。開催後の長野ももちろん。
夏の大会は東京以来日本での開催がまだないから一気放映はないけど、一番のお気に入りは第25回(1992年)バルセロナ(スペイン)だ。
オリンピックの総集編番組、特にNHKのものは大変よくできていて、毎回毎回泣かされる。
「治らんのだからしょうがない」
多発性硬化症を抱えながら車いす陸上競技に出場した伊藤智也選手の父は、トレーニングには必ず付き添い、自ら運転する車でロードを先導する。伊藤選手は大会前に病状が悪化し、トレーニングもままならない。いつも通りの練習でも酸欠を起こし、腕が指が痙攣する。それでもトレーニングを続ける。
父がインタビュアーに言った上の一言は、投げやりのようにも聞こえるが、己のどうしようもない運命は受け入れていくしかない、とオレには聞こえた。
「『きょう一日を一生懸命に生きること』が僕の信条。」もちろん病気を治すということへ向き合うのが最優先だが、競技、いや自分に向き合うことを最優先にした。体調が完璧ではないままでの出場となり、1,500メートル決勝で、他の選手と接触して転倒。右肩を強打し、レースを棄権したほか、翌日の800メートルもドクターストップがかかって欠場するなど、マラソン出場も危ぶまれていたが、超過酷の42.195キロのマラソンで4位入賞。
今回、実言うと初めてパラリンピックのを観たわけだが、障害をもったアスリートに惹き込まれる理由は何だろう。決して、「かわいそう」とか「すごいね」と単純なものではないらしい。「障害を乗り越えて」という言葉もどこか陳腐だ。
様々な選手を見て、彼らは本来の自分を最大に表現しているように思う。「障害を持った○○選手」ではなくて「○○選手」だ。
「自分をみてほしい」と言ったのは、ゴールボールの浅井 三重子選手。この一言がすべてを物語っているような気がした。
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一応、お約束のご報告だが、今回の一番のイケメンは陸上の安岡チョーク選手。タイ人だけど日本人女性と結婚するんで日本選手として出場。ノンケ(笑)。